「低能先生」

俺自身彼の人のことを低能先生と呼び忌み嫌っていたし、彼の人はそれに値する悪行を行っていたと思う。俺もidコールで低能呼ばわりされている。

しかし彼の人自身が低能先生と自称していたわけではないし、どうやら嫌がっていたらしい。宜なるかな。低能先生という呼び名には対話不可能な存在というレッテルとしての意味合いがあった。他の人はどうか知らんが、俺は「自説を声高に唱え、相手を啓蒙するという立場を崩さず、他人の意見を聞き入れない」ような人に対して〇〇先生と読んでいる。*1

犯行声明によると彼の人は議論を拒まれたことに不満を持っていたらしい。他人を罵倒しておいて何が拒まれただと多くの人は思うだろうし俺も思う。言葉の汚さと内容の価値は全く関係がない。自分が正しいという確信の上で、他人を汚い言葉で罵倒するのはそれはそれで自由だと俺は思う。激しい言葉のほうが優しい言葉より支持を集めることもある。ニセ科学批判界隈でもよく言われるが、目の前の一人を説得するのではなしに大衆に訴えるという戦略である。だが、自分から罵倒しておいて対話を拒まれたというのはただの逆恨みである。

俺は彼の人が言いたいことのコアの部分はなんとなく分かるし、実のところ共感する部分もある。嫌いだからいちいち解説したりしないが。

一方でHagex氏やその他ブックマカー諸氏のように「ダメなものにダメといって何が悪い」というような心性にも共感する。

どちらかといえば後者よりだが、俺はどっちつかずだった。イデオロギーというか性根というか、そういう観点では今もどっちもどっちだと思う。

だが彼の人の感情とやったことは、繰り返しになるがただの逆恨みである。進んで他人を罵倒するものが、対話を拒否されたなどと言って良い訳がない。俺はHagex氏のことも好きではないというかはっきり言って嫌いだったが、殺されることはなかった。それはおかしい。それは違う。道理が通らない。

*1:そうでない場合もある。普通に教師や作家にも使う