了解と承知はどちらが丁寧か? 北原保雄VS中村明

賢明なるはてなー諸兄なら、承知と了解のどちらが敬意を含んだ表現かという問題があることはご存じだろう。

「了解」は失礼か? - アスペ日記

失礼以前に「了解」と「承知」は意味が違うじゃん? - 最終防衛ライン3

最初に個人的な使い分けを書いておくと、僕は会社の上司など「身内」の人間からの依頼には「了解」を、顧客など「外部」の人間からの依頼には「承知」を使う。

「了解」には依頼内容の背景や相手の事情を理解した上で、自分の事として引き受けるという意味合いがある(と僕は思っている)。同じ社内の人間であればある程度の事情は知っており、責任や目的などを共有すべきなので、(実際がどうかにはかかわらず)「了解」を使う。顧客など外部の人間とはそこまでの一体感がなく、また安易に示すべきでも無いと思うので、単に依頼内容を把握して引き受けた、という意味合いで「承知」を使う。外部の人間でも、ある程度やりとりを繰り返して関係を構築した後なら、「了解」を使うかもしれない。

あと、「承知」という言葉を相手に使われた場合、「お前の言うことは分かったけど、それについてこちらがどうするかはこれから検討するよ」という意味合いを感じるのに対し、「了解」の場合はすぐに実効してくれるのだろうなと感じる。

もちろんこういう感覚を共有していたとしても、「お前ごとき下っ端がこちらの事情を理解しているなどおこがましい」という反応をする上司もいるかもしれないが、それはまあ知ったこっちゃない。

 

さて、了解が失礼だという認識が広がった大きな理由の一つには、おそらく「明鏡国語辞典」がある。この辞書は言葉の使い分けについての記述が多い(そしてその基準が個人的にはあまり同意できないことが多い)のが特徴の辞書なのだが、「了解」の項の<表現>に以下のようにある。

近年目上の人の依頼・希望・命令などを承諾する意に使う向きもあるが、慣用になじまない(ぶっきらぼうで敬意が不足)。「分かりました」「承知しました」のほか、「承りました」「かしこまりました」などを使いたい。

明鏡国語辞典の編集者として有名な北原保雄が筆頭編著者になっている「問題な日本語 その4」のコラムにも以下のようにある。

上司に「報告書を至急上げてくれ」と言われ、「了解しました」と答えるのは、言葉の誤用ではない。しかし、部下などの目下の人にこう返事されると、失礼だと感じる人が少なくないようだ。「了解した」は、理解した、理解して承認した、という意味。「了解しました」はそれに「ます」を続けて丁寧な言葉遣いにしているのだが、意味としては変わらない。相手によっては、偉そうな言い方だと思われてしまう。 

しかし、ほぼ逆の語釈をしている辞書もある。

中村明著「日本語 語感の辞典」の「了解」の項には

理解した上で納得する意で、やや改まった会話や文章に用いられる漢語。(中略)結果に重点を置く「了承」に比べ、趣旨を十分に理解するという過程が前提になる。 

 「承知」の項には

知っている 、要求などを聞き入れる意で、会話でも文章でも広く使われる日常の漢語。(中略)「承諾」とは違って、認めるところまで言及せず単に知っている。段階までをさす用法もある。そのため、同じ意味で使っても、「承諾」より軽い感じになりやすい。

とある。中村が監修している大辞泉の「了解」の項にも<用法>の欄で同じような解説が書かれている。

この語釈はほぼ僕の感覚と一致する。「承知しております」といった場合の「承知」には「知っている」という意味しかないこともあって「承諾する」という意味で「承知する」を使うには心理的な抵抗がある、というのは辞書を繰る中で気付かされたことだった。「現代国語例解」の「了解」の項にも以下のようにある・

「了承」が相手の示した案などを認める手続き上の行為とされるのに対し、「了解」は内心で理解し、認めるような場合にもいう。

「了承」は手続き上の行為とあるが、僕は「承知」にも同じような意味合いを感じている。

他に僕の感覚に近いものとして、「類語活用辞典」の「了解」の項に

<承知>は、あいての願いや希望、要求などを認めたうえで、自分のこととして引き受けるという点に意味の重点があるが、<了解>は、そのことの事情や理由などがよく分かって、認めるという点に意味の重点がある。

とあった。ちょっと意味が取りづらいのだが、「承知」は引き受けること、「了解」は理解していることに意味の重点があるということだろうか。

今回の件から我々が得るべき教訓は……、辞書を引く時には複数のものをあたり、話半分に受け入れて、自分に都合のいいものを使え、ということだろうか。

 

以下蛇足だが、興味深いものとして、「新明解国語辞典」の「承知」の<運用>には

「承知していない」の形で、正規の手順を経て伝えられていないから話題として取り上げる価値がない、という気持を表すことがある。

「了解」の<運用>には

相手からの指示・命令に対して納得したことを表す返事として用いられることがある。

とあった。