自分を曲げたお前には、もう二度と、ラッキーはやらない!

 

相棒シーズン13 最終回「ダークナイト」改善案 - あざなえるなわのごとし

偽物を暴行したのもそうだけど、そのために友人を使ったのがサイテーにダサい。甲斐が自分で別の暴力犯を制裁し、そこにアリバイトリックを持ってくればよかった。

2015/03/23 20:58

 ダークナイトの予告を見た時、「杉下右京の圧倒的な正義の前に、周囲の者が歪んでしまう」みたいなテーマを期待した。そういうの好きだ。テーマは概ねそんな感じだったのだが、なんというかお話がショボくてどうにも。

最初から甲斐が犯人であることを示唆する演出が露骨だったので、実は甲斐は友人をかばっているだけじゃないかとおもったら別にそんなこともなく普通に甲斐が犯人だった。どんでん返しとか起承転結の転みたいな要素もなく、アリバイトリックらしきものも大したことなかった。一応推理モノなのにどうなの。

せめて悪役が魅力的ならドラマとして良かったのだが、そこら辺も不満だった。上のブコメで書いたように、既に法の裁きを受けることが決まっている偽物をわざと逃して私刑を加え、しかもその実行犯に、過去に恩を売った友人を使うというダサさ。

今まで用意周到に完璧な犯行を行っていたダークナイトだったが、偽物が逮捕されたためにやむを得ず急遽犯行を行ったために初めてボロを出した、みたいな展開なら面白かった気がするんだよなあ。

天のバブみと地のバブみ

バブみという言葉には違和感を持っていた。少女に母性を求めるという趣味は非常によく分かるのだが、音が汚い。3分の2が濁点って、怪獣やロボットじゃないんだから。あとバブみを感じるキャラとして、高校生ぐらいのいかにも包容力がある、まあ要は巨乳のキャラを挙げている人がいるのもよく分からなかった。バブみってそういうものか? 雷ちゃんや桃華ちゃまみたいな少女だけど包容力がある、みたいなキャラに使うのはまだ分かるが、もっと無垢な、なんなら頼りないぐらいの少女に母性を感じるのがバブみの面白さじゃないのか? え、もりくぼに母性を感じたこととか無理やり甘えたいとか思ったことあるでしょ? 無い? おかしいなあ……。

まあ「頼りがいのある幼女」にしても、単なるギャップ萌えにとどまらない何かがあるんじゃないかと思って、ユングの提唱した元型の一つである「太母(マグナマーテル)」についてちょっと調べていた。元型とは、阿頼耶識とか普遍的無意識とか歴史の記憶とかみたいなもので、まあ言葉を重ねるほど胡散臭くなるので置いておく。

 で、下の創元社ユング心理学辞典」の「太母」の項の説明に興味深いものがあった。

ユング心理学辞典

ユング心理学辞典

  • 作者: アンドリューサミュエルズ,フレッドプラウト,バーニーショーター,Andrew Samuels,Fred Plaut,Bani Shorter,浜野清志,垂谷茂弘
  • 出版社/メーカー: 創元社
  • 発売日: 1993/12
  • メディア: 単行本
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ユングは、元型論によって、母親が子供に及ぼす影響は、必ずしも一個人としての母親自身やその実際の性格特徴に由来しているわけではない、という仮説を立てるにいたった。さらに、母親が所有しているようにみえながらも、実際には「母親」を取り囲む元型構造に由来するさまざまな特質があり、子供がそれを母親に投影している、ということがある。
太母とは、集合的な文化経験から引き出された一般的なイメージに対する命名である。イメージとして元型的性格を十二分に発揮し、肯定ー否定の両極性をもあらわにする。乳児は母親に対する幼い頃の依存と傷つきやすさとを肯定ー否定の両極にはりめぐらせることで、自分の経験を系統づけていく。肯定の極にまとめあげられる特質は、次のようなものである。「母親らしい心くばり、いたわり。女性特有の呪術的な権威。理性を超えた知恵と霊的高揚。助けとなる本能、衝動。慈悲深いものすべて、育み、支え、成長と豊穣を促進するすべてのもの」。要するに、良い母である。「すべての秘密、隠蔽、暗黒。奈落、死者の国。呑み込み、誘惑し、害をなし、運命のように逃れられない、身の毛のよだつものすべて」。

まあ要は、母親の実際がどうであれ、子どもが母親に抱く偶像があるという話であり、幼女に母性を見だすというのもそれと関係があるんじゃないかと思ってそもそも元型について調べていたわけだ。

で次が重要なのだが。

以上の、個人的/元型的、良い/悪いの二元性のほかに、大地的/霊的の二元性を付け加えなければならない。すなわち、地下に住む、農耕にかかわる太母と、神聖で、天上的、処女的な形態をとって現れる太母である。この二元性も、乳児が抱くようになる普通の母親イメージに、その反映をみてとることができる。

 『神聖で、天上的、処女的な形態をとって現れる太母』。ここで膝を打った。我々が少女に感じる母性も、天上神的性格のものと、地母神的性格のものがあるのではないか。すなわちこれが天のバブみと地のバブみである。あるいは、タロットの女教皇と女帝のイメージに、それぞれ天と地を割り振ることもできるかもしれない。

地のバブみ

 地の方はある意味わかりやすい。子どもを育むと同時に支配し、我が娘のためならば悪事も自己犠牲も厭わない、凄まじきものとしての母である。

保吉は女を後ろにしながら、我知らずにやにや笑ひ出した。女はもう「あの女」ではない。度胸の好いい母の一人である。一たび子の為になつたが最後、古来如何いかなる悪事をも犯した、恐ろしい「母」の一人である。この変化は勿論女の為にはあらゆる祝福を与へても好い。しかし娘じみた細君の代りに図々づうづうしい母を見出したのは、……保吉は歩みつづけたまま、茫然と家々の空を見上げた。空には南風みなみかぜの渡る中に円まるい春の月が一つ、白じろとかすかにかかつてゐる。……

芥川龍之介「あばばばば」

 ガンダムなら、「勝った者を、私が全身全霊をかけて愛してあげるよ!」と言ったカテジナさんや、「お母さんをやりたければ、自分で子供を産んで、それでやってくださいよ!」とウッソに言われたルペ・シノは地のバブみを体現していると言っていいだろう。

天のバブみ

天の方は自分でもまだはっきりとは掴みかねているのだが、少女的な、無垢さ・純粋さ・神秘性などに母性を見るものだ。シャアが「ララァ・スンは私の母になってくれるかもしれなかった女性だ」と言ったアレである。シロッコが言った「私は次の時代を動かすのは女性だと思っている」や、ザンスカール帝国のマリア主義も、天空神的母性に期待してのものだろう。地母神的母性は、家族的・肉体的な性格が強いものだからだ。

 

この二つの属性は相反するというよりは互いに高め合うような性質のものかもしれない。「幼い少女が包容力のある性格をしている」という場合でも、単にギャップ萌えというだけではなく、そのような二つの属性を持つ事こそが「母性」を高めているのではないか。

人を食った機械の話

日立、集団の幸福感を測定する技術を開発 - PC Watchという記事を読んだ時最初に思いついたのは「エリアストレス警報が発令されています」というPSYCHO-PASSネタだったが、ブコメではパラノイアの方が人気だった。機械に支配される人間というのはSFの定番ネタだが、PSYCHO-PASSもその一種で「銃に使われる警官」がテーマだったか。

それにしても「市民、あんたは幸福ですか?」の問に答えなくともコンピュータ様が自分で幸福かどうか判定してくれる技術が実用化されつつあるというのだから、また一つ現実がSFの先を行こうとしている。TRPGならどう活かせばいいだろう。トーキョーN◎VAの制御判定的なものをすればいいだろうか。理性でも感情でも生命でも外界でもそれなりに理屈が付きそうなので、成功しつつカードを回すにはいいかもしれない。

昔のブクマを漁ると、画像認識で「笑顔度」を測定するスマイルチェックを作ったのはオムロンだった。

スマイルスキャン | 社会の安心・安全・快適ソリューション | オムロン ソーシアルソリューションズ株式会社

最低の発明であることが理解できない日本 - 非国民通信

確かこのスマイルチェックには、視覚障害者が接客業に就いた際の悩みから開発されたとかそういうお話もどこかで読んだ気がするのだが。それはそれで自分のものも他人のものも笑顔を見ることが出来ないのに機械の判定にしたがって笑顔を作るというのは何やら悍ましい感じもするし、クオリア的な問題も考えさせられる。

笑わないと開かない冷蔵庫というのはパブロフの犬みたいで単純に馬鹿らしいのだが、実験を信じるなら冷蔵庫の扉が重くなる程度でも人間は10日たてば笑顔を作るようになるという。最初の幸福度にしても、数値を常時職場のモニターに表示しておくだけで、スコアを良くするための行動をみんななんとなく取り始めるんじゃねえかなあ。

多分戦場ジャーナリストに軍歴は必要ない

戦場ジャーナリストって、外国では退役軍人なり徴兵経験者がやる仕事なん..

一流の写真家集団であるマグナム・フォトのメンバーに軍役経験者がどれだけいるのか調べてみた。

マグナム・フォト東京支社〜ストックフォト、写真家・写真展情報のご案内〜

日本語公式サイトのプロフィールしか見てないので、軍歴を書いていないだけの人もいるかもしれないし、全員が戦場での取材をしているわけではないことはあらかじめ述べておく。従軍記者や後方勤務っぽいのも一応抜き出しておいた。

  • アンリ・カルティエ=ブレッソン Henri Cartier-Bresson フランスのレジスタンス活動に参加
  • ジョージ・ロジャー George Rodger 第二次大戦中は、米雑誌『ライフ』の特派員として、アフリカ、中近東、アジア、ヨーロッパ戦線を取材。戦争中最も長い道程を取材した記者としてライフ誌に紹介された。
  • デビッド・シーモア David Seymour (Chim) 戦争中はアメリカ軍の軍属として、写真偵察やその解析にあたる。
  • レイモン・ドゥパルドン Raymond Depardon 兵役のあと1967年に、仲間と写真通信社「ガンマ」を設立。
  • ポール・フスコ Paul Fusco 1951年から3年間写真家としてアメリカ陸軍通信隊に所属する。
  • コンスタンティン・マノス Constantine Manos 1956年から58年まで兵役につき、軍の機関紙のスタッフフォトグラファーとして勤務。
  • エリック・レッシング Eric Lessing 第二次世界大戦中、飛行士、写真家として英軍に従軍し、1947年にウィーンに戻る。
  • マルク・リブー Marc Riboud 1943年から45年までレジスタンス運動に参加し、その後リヨンの国立高等工芸学校にて工学を学ぶ。
  • コーネル・キャパ Cornell Capa 第二次大戦中は、米空軍写真情報部・広報部に勤務。
  • バート・グリン Burt Glinn 1943年から46年まで兵役を務め、49年にハーバード大学を卒業。
  • エリック・ハートマン Erich Hartmann 1943年、アメリカ陸軍に志願、ヨーロッパに駐留。
  • ウェイン・ミラー Wayne Miller 1942年から1946年まで海軍に従事し、そこでエドワード・スタイケンと出逢う。

写真家一覧ページでプロフィールが見られる79人中12人である。スイス人のワーナー・ビショフとかは徴兵歴があるかもしれないが、よく分からん。

軍歴のある人間自体は結構いるが、ほとんどは二次大戦時代であり、兵士として前線に立っていなさそうな者も多い。マグナム・フォトには若くて主に戦場で活動しているメンバーもたくさんいるが、彼らのプロフィールに軍歴はなかった。抜けがあったら教えて下さい。

というわけで、多分戦場ジャーナリストに軍歴は必要ない。増田の記事を好意的に読むなら、こういう独立系のジャーナリストではなく、企業が採用する場合に軍歴を持つものを優遇する可能性はあるかもしれない。僕はそういう話は知りませんけども。

木槌にすべてを

俺タワーというDMMのゲームを最近プレイしている。引っ掛かりがないというか、ひたすらレベルを上げて資源を貯めて塔を高くする賽の河原ゲーなのだが、なぜこんな甲斐のないゲームを延々プレイしいるのかというと、このゲームに登場するキャラが気に入ったからだ。というか一人のキャラクターにここまで心奪われるは久しぶりなのでいささか自分でも戸惑っている。

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左が木槌で右がその進化形の大木槌だ。性格はまあなんというかこまっしゃくれたお子様なのだが屈託のない元気な感じがとても微笑ましく、声優さんの力も大きいのだが救出時ボイスの「あの子を、助けないと!」とかいい子なんだなあと感じられて素晴らしい。

あと風呂覗いた時に本気で嫌がってる感じなのがいい。あんまりこっちに向かって露骨な性的アピールしてくるヤツは信用ならない。俺のことを無条件で好きになるような志の低いキャラは嫌いだ。「膝の上に木槌を乗せて頭をくしゃくしゃに撫で回して『やめろよー』と嫌がられたい」という妄執に囚われることが度々あった。年末忙しかったので疲れていたのだと思う。キャラグッズが欲しくなってクリスマス頃に東急ハンズに行って木槌を買ってしまった。もうちょっと大きいのが欲しいので今度は別のホームセンターに行こうと思う。

見た目も好みで特に大木槌の絵は珠玉だと思う。無造作にハサミで止められた活動的なポニテに、「ムフー」って擬音語が聞こえてきそうな自信満々な顔が愛らしい。小さな体に大きな武器、片方はガーターで止められて片方はずり落ちたソックスからはアンバランスな危うさが感じられて、引き込まれる。露出度が低いのもいい。ロリに露出度など要らぬ。

ただ木槌ちゃんはなんというかゲーム内での扱いが不憫なのだ。風呂を覗いた時のボイスにも「金鎚にまでこんな事してたら、許さないぞー!」というのがあり、破損時にも言及する(らしい。俺は聞いていない)など、木槌ちゃんは友達の金槌のことをとても気にかけているのだが、金槌の方は木槌に一切言及してくれない。なんでや。お陰でこのゲームのプレイヤーからは可哀想な子扱いされている。

捕獲確認時のボイスに「どっかのマヌケが捕まったみたいだぞ!」というのがあるのだが、木槌は低レアキャラのため他のハズレとして頻繁にでまくり、自分で自分を間抜け扱いすることがあるのもネタ扱いに拍車をかけている。

ゲーム的な性能も何というか微妙に使いづらい。

戦闘面では、進化すると何故か命中と回避が下がる。加撃・極という強力なスキルを持つ当たればデカイ一発屋なのだが、攻撃はあくまで「軽量級の中では」トップクラスという程度である。高難易度ステージを攻略するために本当に火力が欲しいなら、重量級キャラを使うほうが楽である。大木槌の耐久力だと一発食らうと簡単に瀕死になるためどうにも安定しない。

建築面でも改築というこのゲームにおける重要スキルを持っているのだが、建築のパラメーターが低いため、キャラが揃ってくると用済みになる場合も多い。

基本的にぬるいゲームなのでそれでもレベルさえ十分に上げとけば使えなくはないレベルなのだが、どうにも愛が必要になる……という感じだったのだが、最近このゲームに第二進化が追加された。最初に第二進化が開放された最初の3人に木槌が選ばれたのである。

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それがこの横槌である。弱点であった命中回避が軽量級の中でも高水準に、攻撃はさらに高くなり、反撃という手数を増やすスキルも得たことで、あらゆる点が高水準でまとまった、非常に使い勝手の良い最強クラスのアタッカーとして生まれ変わった。もちろん他のキャラも第二進化が開放されれば状況は変わるだろうが。

あとちょっとだけオヤカタ相手にデレてくれた。花飾りをつけてちょっとだけおめかししているのも合わせて、獲物は小さくなっても確かな成長や変化を感じる。一緒にいて楽しい。だから俺は今日も横槌と共に、甲斐のないゲームを続けるのである。

貧乏人ほどよく金を使うのではなかろうか


社会派ブロガーちきりん、ピケティに逆張りす - あざなえるなわのごとし

このへんから思ったことだが、そもそも「貧乏人は貯蓄に回す」というのは本当だろうか。貧困層は将来に不安があるため貯蓄に回すというのは一見もっともらしいが、貧困層は生活必需品に事欠いていたり、少額の消費で身近な部分で今すぐ大きな改善を見込める(消耗品の質を上げたり、家電を買い替えたり)のに対し、富裕層は同じ額を手にしても改善できる幅が少ないため消費の意欲が少ない、ということは限界効用逓減の法則からも言えそうである。臨時収入で札束100万円ポンと渡されたならとりあえず銀行に預けるかもしれないが、継続的に収入が増える見込があるなら、貧乏人のほうが消費に回すのではないのか?

適当にネットをあさると次のような資料が見つかった。

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やや古いデータだが、低所得者層の方が貯蓄率は低い。

2014/12/26 20:19
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色々な基準で検討しているが、やはり貧乏人より金持ちの方が貯蓄率は高い。

2014/12/26 20:32

 貯蓄率とは「貯蓄額を可処分所得で割った比率」らしい。というわけで、単純にお金を回すことだけを考えた場合、高所得者よりも低所得者に多く配分したほうが良い。少なくとも貯めこまないから即効性はある。

もっとも、お金の使い方によって波及効果に差があるとか、そもそも銀行が他に金を貸すんだから貯蓄の何が悪いとかいう論点もあるのだろうが、俺の経済知識は結局役に立たなかった公務員試験対策に勉強した以上のものはないから知ーらない。

 

「FURY」 戦って、戦って、戦って、死ぬ

「FURY」を見てきた。言葉にするのは難しいのだが……そうだな、世界観が好きだ。戦うたびに何かを失うところと、理不尽に死んだり生き残ったりするところが。

 

映画のストーリーは1945年4月から始まる。もはやヨーロッパ戦線の大勢は決したという段階だ。映画の描写でも、圧倒的な航空戦力の差や、徴兵拒否者を街頭に吊るすドイツ軍の末期ぶりからそれは分かる。米軍はいつになるか分からない「最後のひと押し」のために、泥沼の地上戦を続けていた。そのある種無益な戦いの中で、無垢さを失い、僚機を失い、仲間を失い、「家」を失う。勝利の美酒はない。その代わり戦闘前の仲間として酒を回し飲むシーンが印象的だ。

人が理不尽に死ぬというのは戦争映画なら極普通のことだが、最後のシーンでとても理不尽な生き残り方をするのが良かった。甘ちゃんが甘さゆえに生き残る、みたいな因果応報的な読み方は嫌いだ。ただ戦場の理不尽に生き残らされた、という世界観は好みだ。

 

と、褒めては見たものの、もう少し細かいストーリー的にはどうなんでしょうねコレ。特に最後の防衛戦の部分。ドンが1人ででも残ろうとするのはあんまり理解出来ませんし、SSが引かずに無策で突っ込んでくるのもかなり違和感がありました。特に行軍のシーンでパンツァーファウスト抱えてる兵士が複数いたのに「これだけだ!」と言われた時は「えぇ……」と思って萎えましたね。最初のほうで薙ぎ倒されたのかもしれないけどなんかさあ……。

野戦、市街戦、戦車戦はかなり面白く見れただけに、最後の戦闘でなんか締まらない感があって残念です。ティーガーと相打ちとかもっと分かりやすいオチの付け方もあったかと思うのだが。