幸福の科学の霊言は何が悪いの?

タイトルは「いや悪くない」という反語表現ではないので念のため。

 

志位和夫・日本共産党委員長(守護霊)「権力の側に回ったら、自衛隊を日本共産党軍にする」 | ザ・リバティweb

 

投票日が近づいてきたからか、共産党の注目度がネットで高いからか、共産党志位和夫委員長の霊言がいつもよりブクマを集めている。コメントを見ると、今回はじめて幸福の科学がやっている「霊言」のネタを知った人も多いみたいだ。

簡単に説明しておくと「霊言」とは幸福の科学総裁・幸福実現党名誉総裁の大川隆法が人間の霊を呼び出して色々語らせるというイタコ的なアレなのだが、「本人ではなく守護霊だから」という理屈で今生きている人間も呼び出してくるし、果ては大川隆法が自身の守護霊を呼び出したりした。何がしたいのかわからない。そしてまあ「霊は嘘をつかない」という理屈で、有名人の本音は実はこうだったという形で幸福の科学幸福実現党のヨイショをしたり敵を貶めたりするというのがいつものパターンである。

で、僕はそもそも宗教的なものが嫌いなので、霊言についてはネタとして笑いつつも幸福の科学はさっさと訴えられて敗訴しろ・酷い目に会えと常々思っている。しかし、仮に誰かが「霊言と称して思ってもいないことを言ったように見せかけられた」という風に提訴したとして、勝ち目はあるのだろうか? 裁かれるだけの「酷さ」はどこかにあるのだろうか?

もっと具体的に言うと、ボーガスニュースや虚構新聞みたいな「嘘ニュース」と比べても、「霊言」は酷いものなのだろうか?

僕はそもそも「嘘ニュース」的なものは好きじゃない。特に最近の虚構新聞は僕と笑いのツボが合わないのか、はてブのホットエントリに上がってきてもクスリとも笑えず、さっさと閉鎖しろと思っている。しかしどっちが酷いかと言えば霊言の方が酷いと感じる。霊言が放置されて嘘ニュース的なものが先に潰されるならなにかおかしいと感じる。両者の違いはどこだろう。

 

嘘ニュース的なものが批判される理由の1つとして、ぱっと見では嘘と分からない・タイトルだけでは嘘と分からないというものがある。その点霊言は自らの性質について隠す意図が全くない。上でリンクを張った志位和夫の霊言についてもページタイトルに(守護霊)とつけているし、本文でも霊言がどういうものかについて(彼らの理屈で)解説されている。自分から嘘だとは行っていないもののある種のリテラシーがあればそれとわかる。そしてある種のリテラシーがないと嘘だとわからないのは嘘ニュースも同じだ。

 

霊言は自分をヨイショして政敵や批判者を貶めるという利己的な面が見え見えなので、そこら辺が鼻につくというのはある。しかし嘘ニュースの方もPVを稼いで自尊心なり名誉欲なりを満たし、アフィなりメルマガなりで実際に金銭的な利益を得ているところもある。

 

まあ、こんなのはただの相対化に過ぎないわけだけど、「信教の自由」を持ちださなくても、霊言に法的な処罰を与えるのは意外に難しいんじゃないかと感じる。