「ハキリアリ 農業を営む奇跡の生物」 ハキリアリと超個体

 

ハキリアリ 農業を営む奇跡の生物 (飛鳥新社ポピュラーサイエンス)

ハキリアリ 農業を営む奇跡の生物 (飛鳥新社ポピュラーサイエンス)

 

 

キノコを育てるアリ―ハキリアリのふしぎなくらし (ドキュメント地球のなかまたち)

キノコを育てるアリ―ハキリアリのふしぎなくらし (ドキュメント地球のなかまたち)

 

 今の人間は機械に頼りきりで昔に比べると云々、というような言説が嫌いだ。ソクラテスは文字に頼ることで人間の記憶力が衰えると考えていたらしいから、昔から連綿と続く人間の思想の一類型なのだろう。しかし文字や機械といった文明は人間の社会が持つ本質的な要素の一つではないか。人間はポリス的動物である、と言ったのはソクラテスの言葉を文字として残した弟子・プラトンの、さらに弟子であるアリストテレスだった。目の前の人間に対応するのではなく、人間という動物をついて考える際に、社会という要素を無視することは出来ない。それはアリの行列から一匹だけをつまみ出していくら眺めてみても、アリという動物について本質的な理解は出来ないのと同じだ。

などという与太からのハキリアリである。宇宙人が地球を見た時に最も繁栄した動物だと認識するのはアリだ、などという与太も聞いたことがあるが、ハキリアリはそのアリの中でも最も複雑な進化を遂げた種の一つであることは間違いないだろう。上の梶山あゆみ訳の本で興味を持ち、先日国内で唯一ハキリアリを飼育している多摩動物公園に行って下の本を買ってきた。ハキリアリはキノコを育てるという「農業をする」ことで知られるが、それだけではない高度な文明を築いている。

  • 分業

ハキリアリは高度に分業化が進んだ社会を持つ。一般的なアリにも女王アリ、兵隊アリ、働きアリという区別はあるが、ハキリアリの働きアリは体格によってさらに分化が進んでいる。

年若い小さいアリは巣の中で農場の世話をしたり、女王アリや幼虫・蛹の世話をする。成長して外で作業をするアリにも体格差があり、大きくアゴの力が強いアリは木の葉の上に乗り、後ろ足を軸にコンパスのように葉を切り取って地面に落とす。地面では別のアリがさらに葉を細かくし、また別のアリが巣まで運ぶ。その道中、もっと小さいアリが葉の上に乗り、葉を運んでいるアリに卵を産みつけようとするハエを警戒したり、葉を掃除して微生物や細菌を落としたりしている。葉脈など硬い部分もある木の葉を噛み切るのはアリにとって重労働であるため、大きなアリにしか担当できない。

実際に多摩動物公園で観察すると、巣と餌場の距離が近いからか、葉を切り取ったアリがそのまま巣へと運んでいたが、ほとんどの場合大きな葉には小さなアリが乗っかり護衛をしていた。

  • 環境

ハキリアリが環境を作り替える能力は、他のアリと比べてもはるかに高い。

アリの巣に溶けたアルミニウムを流し込んで型を取る動画が少し前に話題だったが、上の本にもハキリアリの巣にセメントを流し込み、周囲の土を取り除く作業中の写真がある。下の動画は構図が似ているので、おそらくその写真と同じ実験のものだと思う。


Giant Ant Hill Excavated - YouTube

YouTubeで見られるアルミ製アリの巣はせいぜい深さ1mといったところだが、数百万のハキリアリが住む発達したコロニーは、見たところ深さ5m、半径十数mの大きさはあるだろう。

アルミで取ったアリの巣は個々の部屋が小さく平べったいが、ハキリアリの巣の部屋は大きなものが多い。キノコを栽培するにはある程度のスペースが必要だからだ。巣には菌室の他にも女王アリの部屋や幼虫・蛹の部屋があるが、中でも興味深いのはゴミ捨て専用の部屋があることだ。菌は葉っぱのすべての成分を栄養とできるわけではないため、しばらくするとカスが残される。このカスを放置するとハキリアリにとって害を及ぼす別の菌の温床となる可能性があるため、巣の中に専用のゴミ捨て部屋があり、そこに集められる。アリの死骸も同様に菌の温床となるため、ゴミ捨て部屋に運ばれる。ゴミ捨て場の管理は他の菌と触れ合う機会が多い、不潔で危険な仕事だ。そのため年老いた死期が近い働きアリが務めている。

多摩で実際に観察すると、大きな働きアリが、さらに大きな兵隊アリの死骸を引きずって運んでいる姿が印象的だった。

またハキリアリは巣だけでなく、外に道を作り上げる。さながらローマ街道のごとく、草や障害物を取り除いた歩きやすい幹線道路を作ることで、効率的に巣と餌場を行き来することができるのだ。

  • 他の生物との関わり

ハキリアリはアリタケという菌と共生関係にある。ハキリアリは木の葉をそのまま食べてもほとんど栄養を得ることは出来ない。アリタケに葉を分解させ、繁殖したアリタケの胞子を主食としている。カイコガが自然環境では生存できないように、このアリタケはハキリアリの巣の外で見つかることはない。ハキリアリが分泌する化学物質は、アリタケの活動を助ける働きを持つ。アリタケは他の菌が繁殖しづらいph5程度の弱酸性環境で最も活発になるが、この酸性度の維持はハキリアリが酸を分泌することによって行っている。さらに抗生物質を分泌することによっても、他の菌類の活動を抑えている。

ハキリアリの中でも高度な進化を遂げたものは、何世代にもわたってアリタケを継承する。そのような種が育てるアリタケは遺伝子の多様性が失われているためか、発達したアリのコロニーを専門に狙う寄生菌が存在する。これに対抗するためハキリアリは寄生菌の働きを抑える放線菌を利用している。胸のコブから特殊な分泌液を出して体表や口内に放線菌を維持し、巣の中で寄生菌が繁殖することを防ぎ、いざ寄生菌を見つけた場合には口内で消毒してからゴミ捨て場や巣の外に運ぶ。ハキリアリ・アリタケ・放線菌の三者同盟と寄生菌は、互いに軍拡競争を続けながら進化してきたと見て良いのだろう。

ハキリアリも他のアリと同じようにアブラムシを巣内に飼っているが、他にも興味深い闖入者がいる。進化的には近隣種だが、農業をやめて労働階級を失い、他のハキリアリのコロニーに寄生することによってのみ生計を立てる、ニセハキリアリという種が存在するのだ。驚くような話だが、このような存在は逆説的にハキリアリの生産性の高さを証明している。

 

ハキリアリは、このような複雑なコロニーからはぐれて生きていくことは出来ない。しかし、その複雑なコロニーは全て、遺伝子の作用によってハキリアリの群れが作り出す「延長された表現型」だ。生物が生み出す周囲の環境そのものが自然選択の対象になると考える立場からは、コロニーを一つの単位として「超個体」と呼ぶ。

人間の社会を全て遺伝子の影響下にあるものとみるのはおそらく間違っているだろう(ミーム論はとりあえず置いておくとして)。しかし、社会を維持するための機能が人間に備わっていることを無視して、人間について理解することは出来ないだろうとも思うわけである。

まとまらないのでこのへんで。