あっと「のんのんびより 11」
相変わらずひか姉のツッコミがキレッキレで良い。アニメの2クールと映画で積み重ねてきただけあって、福園さんが怒鳴る声が想像できる。
実はいなかった純粋な子どもキャラとしてしおりちゃんがうまく定着してきたのも良い。
「ミッドサマー」「ジョジョ・ラビット」「ナイブズ・アウト」
24時間で3本映画を見た。
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ミッドサマー
下馬評が良かったのでかなり期待してたんだけど正直合わなかった。体が植物化したり食べ物(≒死体)がグネグネ動いたりみたいなドラッグ描写は見応えあったし、白夜の中でのお祭り描写も作り込まれた映像が見れて何というか満足感はあった。ただこの満足感は昔見た「山奥の修道院での敬虔な信仰生活に密着したドキュメンタリー映画」に近い普段見られないもんを見たというだけのことであって、それ以上のもんではないような。
とにかく段取りが良すぎるというかショッキングシーンの10分前には何が起こるか大体予想が付くので、見ていて結構弛緩していた。人体破壊描写は苛烈だし、鶏小屋のシーンとかそうするかって意外性はあったけど……。じゃあそれが面白いか怖いかっていうと微妙。後頭部殴られて瀕死の時にいびきみたいな音出すのがリアルだっていうのは分かるけど、僕は別にそれを実際に見たわけではないのでリアリティは別に感じないし。緊張感だとジョジョ・ラビットの初対面やゲシュタポのシーンがよっぽどあった感じ。
冒頭の人間関係のギスギスシーンのイヤーな感じはよくできてると思うんだけど、その分ダニとクリスチャンの2人ともたっぷり嫌いになったというか心が離れたので、頭がスラッシャームービー見るときの脳に切り替わったかも。ダニに感情移入して見れば怖くて面白いのかもしれない。ジョシュを主人公に田舎の超常的奇祭を一歩引いた立場からみる妖怪ハンター的話だったら僕はもっと楽しめたと思うんだけど、まあ監督が見せたいものは違うんだろう。
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ジョジョ・ラビット
ボーイ・ミーツ・ガールなんだけどそれに留まらないというか、少年の成長と外部との交流をすごく丁寧に描いていてとても良い映画だった。典型的なナチの人であるミス・ラームでさえもわずかな描写から彼女にもそれなりの背景がある「普通の人」であることが感じられるし、ほとんど喋らないけどコミカルなフィンケル君もいいし、もちろん重要な役割を持つお母さんとキャプテンKもいい。あと鈍くさいヨーキー少年。
戦時下でもそれぞれに一生懸命に生きている人がいて、子供目線故に決定的なシーンは見せないながらも戦争によってそれが失われる場面もちゃんと描く、反戦的メッセージを持つ映画でもある。
まああの状況でジョジョが放置されるのかっていう疑問は正直感じたけど、戦況逼迫でゲシュタポもそれどころじゃなかったということで納得しとこう。
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ナイブズ・アウト 名探偵と刃の館の秘密
クリスティー風ミステリー映画なんだけど、倒叙物っぽい犯行がばれるかばれないかのサスペンスをやって、そこからさらに一ひねりあるという作りでかなり楽しめた。謎の老婆!怪しい洋館!偏屈な老人の死から親族間の骨肉の争い!家政婦は見た!っていうコテコテな要素も入れつつ、舞台が現代アメリカなんでネトウヨ少年やインスタのインフルエンサーに移民問題と適度に外してくるのも小気味よい。
真犯人はバリバリ怪しい感じはあったが、詳細については僕は分からなかったし、結構ミステリーとしてフェアに面白くできてるんじゃないかと思う。
タイトルになっているナイフに加え、ボールや犬みたいな小道具の使い方も気が行き届いている。あと長女のリンダさん周りの、親族内では唯一被害者と通じ合ってた感じの描写がホロリときたのも良かった。
夜と闇の溶けない世界 模造クリスタル「スペクトラルウィザード 最強の魔法をめぐる冒険」
増田とid:AQMさんの評を読んでちょっと言語化したいと思ったので残しておく。
この物語の登場人物たちの多くはそこそこに善良で、そこそこに信念をもって行動している。唯一の例外は世界をリセットしようと暗躍する前騎士団長なのだが、彼の印象は恐ろしく薄い。彼を止めようとみんなが動いているはずなのに、どこかかみ合わない。上手く行くわけでも、決定的に対立して崩壊するわけでもない。世界は優しく残酷に、変わらない。
前回も夜の物語だったが、今回さらに南極をメインの舞台に一つの物語を展開したことで諦めに満ちた静謐さがより強調されたように思う。
ただ、もちろんこのマンガはその中に一筋残る人間性の話でもある。同作者の「黒き淀みのヘドロさん」は、似たようなテーマを描きながらバランスが結構違う作品なんだな、と改めて思ったり。
旅行中に食った麺
- 半田そうめんのイカスミパスタ
池田市で喰った。半田そうめんがそうめんなのにしっかりとしたコシがあり、普通のパスタよりもソースを吸ってえらかった。
- 八幡浜ちゃんぽん
八幡浜港で喰った。ちゃんぽんだがとんこつではなく醤油と魚介だしが効いており、あっさり風味だがだしのうまみがちゃんと残っててえらい。
- 冷麺
別府市で喰った。食い応えのある太麺だがもちもちとした食感。スープは牛骨風味。フェリーの窓際で昼寝して暖まった体にスープが染み渡ってえらかった。
- 馬チャーシュー豚骨ラーメン
阿蘇で喰った。馬肉チャーシューがついさっきまで冷蔵庫に入ってました感があったのは正直萎えたが、肉食ってる感のある獣臭いチャーシューは旨かった。九州らしい甘みのある豚骨にマッチしててえらかった。
性的な写真は取り締まられるべきだが、それは性的に見られるからでは無い
____ on Twitter: "広告などの女性表象への批判、例えば今回のような露骨な乳袋表現への批判があった際「フェミニストは巨乳の女性を否定している」という的外れな反論がありますが、否定している訳でも隠せと言っている訳でもありません。 大河ドラマ「いだてん」第… https://t.co/z1X12BMgiZ"
男性のまなざしが女性の権利を制限しているというのはごもっともですが、この比喩は勝手に写真を撮って売る肖像権の問題の悪さと性的な表現の問題の悪さをすり替えています。
2019/10/23 13:01
なるほど、②の男が写真を販売する行為は取り締まられるべきです。私はそう思うし、多くの人間もそう思うだろうし官憲もそう判断するかもしれません。しかしそれは写真が性的にまなざされうる悪質性を問題視しているのではなく、勝手に写真を撮りあまつさえそれを販売する悪質性を問題視しているからではないでしょうか。
俺はまなざしという概念を否定しませんし、世界を理解するためにとても有効なものだと考えています。しかし、まなざすことで発生する意味の付与や属性の消費が直ちに悪いとはならないし、少なくとも公的な規制・規範の根拠にするには馴染まないものだと考えます。
例えばモデルの合意を取った写真や同じ構図の絵の場合でも、同じように性的にまなざされうるのです(実際には隠し撮りされたという文脈に性的な意味を見いだす場合もあるでしょうが、それは本質ではないので無視しましょう)。彫刻や文学などのハイカルチャーも性的にまなざされうるし、カメラを通さない実在の女性だって性的にまなざされうるのです。俺はそれらすべてが規制されるべきではないと考えますが、性的なまなざしを問題視するなら、それらすべてが規制されうるのです。
ですので、俺は性的にまなざされうる、性的な偏見を助長するかもしれないという段階で、(表現の自由という言葉を使うか否かにかかわらず)表現に倫理的な枠をはめようという言説には反対します。もちろんそのような表現に付随して、具体的な加害行為や(あまり積極的には言いたくないけど)反社会的行為が発生しているなら話は別ですが。