性的な写真は取り締まられるべきだが、それは性的に見られるからでは無い

 

____ on Twitter: "広告などの女性表象への批判、例えば今回のような露骨な乳袋表現への批判があった際「フェミニストは巨乳の女性を否定している」という的外れな反論がありますが、否定している訳でも隠せと言っている訳でもありません。 大河ドラマ「いだてん」第… https://t.co/z1X12BMgiZ"

男性のまなざしが女性の権利を制限しているというのはごもっともですが、この比喩は勝手に写真を撮って売る肖像権の問題の悪さと性的な表現の問題の悪さをすり替えています。

2019/10/23 13:01

 なるほど、②の男が写真を販売する行為は取り締まられるべきです。私はそう思うし、多くの人間もそう思うだろうし官憲もそう判断するかもしれません。しかしそれは写真が性的にまなざされうる悪質性を問題視しているのではなく、勝手に写真を撮りあまつさえそれを販売する悪質性を問題視しているからではないでしょうか。

 俺はまなざしという概念を否定しませんし、世界を理解するためにとても有効なものだと考えています。しかし、まなざすことで発生する意味の付与や属性の消費が直ちに悪いとはならないし、少なくとも公的な規制・規範の根拠にするには馴染まないものだと考えます。

 例えばモデルの合意を取った写真や同じ構図の絵の場合でも、同じように性的にまなざされうるのです(実際には隠し撮りされたという文脈に性的な意味を見いだす場合もあるでしょうが、それは本質ではないので無視しましょう)。彫刻や文学などのハイカルチャーも性的にまなざされうるし、カメラを通さない実在の女性だって性的にまなざされうるのです。俺はそれらすべてが規制されるべきではないと考えますが、性的なまなざしを問題視するなら、それらすべてが規制されうるのです。

 ですので、俺は性的にまなざされうる、性的な偏見を助長するかもしれないという段階で、(表現の自由という言葉を使うか否かにかかわらず)表現に倫理的な枠をはめようという言説には反対します。もちろんそのような表現に付随して、具体的な加害行為や(あまり積極的には言いたくないけど)反社会的行為が発生しているなら話は別ですが。