天のバブみと地のバブみ

バブみという言葉には違和感を持っていた。少女に母性を求めるという趣味は非常によく分かるのだが、音が汚い。3分の2が濁点って、怪獣やロボットじゃないんだから。あとバブみを感じるキャラとして、高校生ぐらいのいかにも包容力がある、まあ要は巨乳のキャラを挙げている人がいるのもよく分からなかった。バブみってそういうものか? 雷ちゃんや桃華ちゃまみたいな少女だけど包容力がある、みたいなキャラに使うのはまだ分かるが、もっと無垢な、なんなら頼りないぐらいの少女に母性を感じるのがバブみの面白さじゃないのか? え、もりくぼに母性を感じたこととか無理やり甘えたいとか思ったことあるでしょ? 無い? おかしいなあ……。

まあ「頼りがいのある幼女」にしても、単なるギャップ萌えにとどまらない何かがあるんじゃないかと思って、ユングの提唱した元型の一つである「太母(マグナマーテル)」についてちょっと調べていた。元型とは、阿頼耶識とか普遍的無意識とか歴史の記憶とかみたいなもので、まあ言葉を重ねるほど胡散臭くなるので置いておく。

 で、下の創元社ユング心理学辞典」の「太母」の項の説明に興味深いものがあった。

ユング心理学辞典

ユング心理学辞典

  • 作者: アンドリューサミュエルズ,フレッドプラウト,バーニーショーター,Andrew Samuels,Fred Plaut,Bani Shorter,浜野清志,垂谷茂弘
  • 出版社/メーカー: 創元社
  • 発売日: 1993/12
  • メディア: 単行本
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ユングは、元型論によって、母親が子供に及ぼす影響は、必ずしも一個人としての母親自身やその実際の性格特徴に由来しているわけではない、という仮説を立てるにいたった。さらに、母親が所有しているようにみえながらも、実際には「母親」を取り囲む元型構造に由来するさまざまな特質があり、子供がそれを母親に投影している、ということがある。
太母とは、集合的な文化経験から引き出された一般的なイメージに対する命名である。イメージとして元型的性格を十二分に発揮し、肯定ー否定の両極性をもあらわにする。乳児は母親に対する幼い頃の依存と傷つきやすさとを肯定ー否定の両極にはりめぐらせることで、自分の経験を系統づけていく。肯定の極にまとめあげられる特質は、次のようなものである。「母親らしい心くばり、いたわり。女性特有の呪術的な権威。理性を超えた知恵と霊的高揚。助けとなる本能、衝動。慈悲深いものすべて、育み、支え、成長と豊穣を促進するすべてのもの」。要するに、良い母である。「すべての秘密、隠蔽、暗黒。奈落、死者の国。呑み込み、誘惑し、害をなし、運命のように逃れられない、身の毛のよだつものすべて」。

まあ要は、母親の実際がどうであれ、子どもが母親に抱く偶像があるという話であり、幼女に母性を見だすというのもそれと関係があるんじゃないかと思ってそもそも元型について調べていたわけだ。

で次が重要なのだが。

以上の、個人的/元型的、良い/悪いの二元性のほかに、大地的/霊的の二元性を付け加えなければならない。すなわち、地下に住む、農耕にかかわる太母と、神聖で、天上的、処女的な形態をとって現れる太母である。この二元性も、乳児が抱くようになる普通の母親イメージに、その反映をみてとることができる。

 『神聖で、天上的、処女的な形態をとって現れる太母』。ここで膝を打った。我々が少女に感じる母性も、天上神的性格のものと、地母神的性格のものがあるのではないか。すなわちこれが天のバブみと地のバブみである。あるいは、タロットの女教皇と女帝のイメージに、それぞれ天と地を割り振ることもできるかもしれない。

地のバブみ

 地の方はある意味わかりやすい。子どもを育むと同時に支配し、我が娘のためならば悪事も自己犠牲も厭わない、凄まじきものとしての母である。

保吉は女を後ろにしながら、我知らずにやにや笑ひ出した。女はもう「あの女」ではない。度胸の好いい母の一人である。一たび子の為になつたが最後、古来如何いかなる悪事をも犯した、恐ろしい「母」の一人である。この変化は勿論女の為にはあらゆる祝福を与へても好い。しかし娘じみた細君の代りに図々づうづうしい母を見出したのは、……保吉は歩みつづけたまま、茫然と家々の空を見上げた。空には南風みなみかぜの渡る中に円まるい春の月が一つ、白じろとかすかにかかつてゐる。……

芥川龍之介「あばばばば」

 ガンダムなら、「勝った者を、私が全身全霊をかけて愛してあげるよ!」と言ったカテジナさんや、「お母さんをやりたければ、自分で子供を産んで、それでやってくださいよ!」とウッソに言われたルペ・シノは地のバブみを体現していると言っていいだろう。

天のバブみ

天の方は自分でもまだはっきりとは掴みかねているのだが、少女的な、無垢さ・純粋さ・神秘性などに母性を見るものだ。シャアが「ララァ・スンは私の母になってくれるかもしれなかった女性だ」と言ったアレである。シロッコが言った「私は次の時代を動かすのは女性だと思っている」や、ザンスカール帝国のマリア主義も、天空神的母性に期待してのものだろう。地母神的母性は、家族的・肉体的な性格が強いものだからだ。

 

この二つの属性は相反するというよりは互いに高め合うような性質のものかもしれない。「幼い少女が包容力のある性格をしている」という場合でも、単にギャップ萌えというだけではなく、そのような二つの属性を持つ事こそが「母性」を高めているのではないか。