愛が重くて胃もたれ

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20130305-00000306-bjournal-bus_all

女子高生が鶏を育てて解体して食べる 「命の授業」は残酷か? (Business Journal) - Yahoo!ニュース

家禽を育てて食うこととペットの鶏を育てて食うことは別だと思うんだよね。わざと愛着を持つように仕向けるんなら、ただのサディズムだと感じる。

はてなブックマーク - 女子高生が鶏を育てて解体して食べる 「命の授業」は残酷か? (Business Journal) - Yahoo!ニュース

屠殺解体は社会の仕組みとして可能なら一般校でも教えた方がいいと思うけど、愛着持たせるのはまた別でっせ。そこにどんな教育効果があるのか僕にはよく分からん。

 

社会の安定とかを第一に考えるならPSYCHO-PASSの世界みたいに暴力的な情報を市民から一切遮断遮断したほうがいいんじゃないかと思うんですよ。先週の放送であの世界の食料は改良小麦で殆どを賄っていることがわかりましたが、当然畜産なんて色相が濁るから一部残っているとしても完全オートメーションでしょう。味付けはどうやってるんでしょうね。もしかしたら味覚もインプラントで弄ってるんでしょうか。ただまあ劇中でもあったようにそういう社会は免疫がないというか突発的な暴力が発生した時に対処できない気もしますが。

もちろん個人的な理想社会はそんなところにはなく、むしろブコメでも書いたようになんならすべての学校で鳥をしめて解体して調理するぐらいのことはやったほうがいいんじゃないかと思います。社会のみんなが求めて行われているものが一部の人に任され、隠されている(ように見える)というのが嫌なんですよ。モビルドールによって戦争が人の手を汚さないものになることをエレガントでないと評するトレーズ閣下と同じような、個人的美意識・倫理観の問題です。みんなが鳥をしめるのを経験して肉を食べられない人が増えたり人心が荒廃しても仕方がないというか、むしろ望ましいことだと思います。同じ文脈から死刑執行官に抽選制で国民参加する制度や、死刑執行の中継放送みたいな制度にも賛成します。

まあこんな金も手間もかかって実現性が薄いから適当なこと言ってるだけの与太はおいとくとして、家畜を殺して食うのとペットを殺して食うのはぜんぜん違うと思うのですよ。戦争で敵兵を殺すのと民間人を殺すのぐらい違う。同胞を傷つけるのと余所者を傷つけるのぐらい違う。尊属を殺すのと卑属を殺すのぐらい違う。なにやら皮肉げな言い方になりましたが別に差がないと言いたいのではなく差があると言いたい。尊属と卑属とのは現代ではおおむね同じと捉えられるようになりましたが、かつては違うと捉えられていたから法律でも区別されてたわけですよね。

予防線として、情熱大陸を見てないのでテーマとなった真鍋先生の授業を批判するわけではないんですが、わざと愛情を持つように仕向けてるんだとしたら悪趣味だなと思います。本質はズレるんですが、最初に元記事を読んで「イリヤの空、UFOの夏」の「子犬作戦」を思い出して苦い感情が蘇りました。子犬を与えてから取り上げないと守る価値の無い世界ならイリヤは別に世界を守らなくていいんじゃないかっていう。大人も世界を守る大義のためにいろいろやってるわけだけど、浅羽は納得できずに榎本に殴りかかる。そういう感情。愛情持たせる演出すれば失うのが怖くなるのは必然でしょうけど、それは命の重さなんですか? なんか別のものが乗っかってませんか? 愛情かけて育てたものをわざわざ殺して食う文化に、どういう意味があるのか理解できないんですよ。

「3ヶ月後に殺して食うから鶏育ててね」とだけ言って、生徒が好きで名前をつけて愛情を込めて育てたならまあ別に積極的に止める必要まではないかなとも思いますが。家畜に名前つける畜産業者もいるそうですし。けど、記事を見てると弱った鶏に手塩をかけてるみたいでどうもそんな雰囲気じゃなさそうで。そういう演出は些細な事だと思う人もいるかも知れないですが、単に「辛いことさせれば成長する」みたいな体罰と同じ根性論の臭いがして、僕にはどうも受け入れられません。