やっぱり相貌失認だったらしい

先日心療科の先生とお話をしたのだが、俺は「相貌失認の症状がある」ということらしい。

昔から同じクラスの人間の顔や名前を覚えられないとは思っていたのだが、単に物覚えが悪いだけだと思っていた。のだが、最近次のような出来事があった。

・半年ぶりに帰省した際、駅であった親の顔を見て、親だと確信が持てない。

・久しぶりに高校や大学の友人に合うと、やっぱり確信が持てない。

・「仁義なき戦い広島死闘篇」を見ていた際、リンチで惨殺された北大路欣也が次のシーンでまた出てきた、と思ったら死んだのは川谷拓三だった。

・職場の同僚の顔は大体覚えたと思っていたが、たまたま外で会う用事があったとき、声をかけられるまでそれと分からなかった。

・仕事で人の顔を確認する機会があり、自信がなかったので上司にチェックを頼んだ。有名人だったこともあり、上司は特に資料を見ずとも誰が誰か把握していた。

あと「Dr 林のこころと脳の相談室」で相貌失認という症状は極端に珍しいものではないということを知り、増田で知ったテストをやってみたら点数が低かったので気になってはいた。考えてみれば学校の成績で、暗記科目が極端に悪かったということはない。仕事でミスが少ないとは言わないが、人の顔を覚える以外で、何かが覚えられず困ったという経験もそうない。

上で書いたチェックを頼んだ上司に、一度産業医に相談してみてはどうかと言われた。確かに素人診断ではなく専門家の意見を一度聞いてみるべきだろうと思い、心療科の先生を紹介してもらって冒頭書いたように話を聞いてもらった結果、「症状としては相貌失認」ということらしい。まあ精神疾患とは社会生活を送る上でどの程度不都合があるかで決まる部分がある。俺はそれほど大きな不都合があるわけではないので、病気と言えるかは微妙ということだろう。

先生の話では、俺のように軽度の症状のものを含めると、100人に1人から2人程度相貌失認の人間はいるらしい。事故などが原因の後天的なものと比べると、症状が進行することは無いらしいが、特に治療法も無いらしい。

できれば客観的に記憶力についての診断が欲しかったのだが、「このテストで何点以下を取れば相貌失認」というような、明確な診断基準は存在しないらしい。相貌失認の患者と健常者を集めてテストをさせ、点数の違いを見るというような研究は行われているらしいが、診断に使えるような尺度は存在しないのだそうだ。そこはなんというか、消化不良感がある。

ただまあ、面談前から大体わかっていたことではあるが、色々とどうしようもないことである。「人の顔を覚えるのが苦手」ということを認識した上で、自分で工夫して生きていくしかないのだろう。予告があった方が無かった場合より痛みを感じたときのストレスが減る、みたいな話を聞いたことがあるし、心構えは大事だろう。初対面の人間に対して「俺は人の顔を覚えるのが苦手なので、忘れていても気を悪くしないでくれ」と言ってみるのはどの程度有効だろうか。

将来鬱や物忘れを併発する可能性が高いかもしれないのでそのときはまた相談に来てくれとは言われたので、それは多少心に留めておかないといけない。

 

相貌失認と言っても、別に人間の顔がのっぺらぼうに見えているわけではない。全く同じ写真を二つ並べられたら、それは同じ写真だと分かる。だが、角度が変わったり、表情が変わったりすると、途端に分からなくなる。顔を立体的に捉えるとか、抽象的に捉えるとかいうことができないのだと思う。特に笑顔が分かりづらい。目を細くなり、口角を上げたり口を開いたりして、口の形も変わっていることが多いからね。

こっから先は独自研究なのだが、多分俺の脳の中では、通常の認知・記憶システムは問題なく働いているが、一部の特殊な役割を果たすソフトがうまく稼働していないのだろう。

俺は聴覚についても、どうもカクテルパーティー効果が弱い。小さい音を聞き取る一般的な聴力は問題ない。だが、道端や飲食店内などの雑音が多い環境で、隣の二人は普通に会話しているのに、俺には全く何を言っているのか分からないということがよくある。人間の脳は人間の声を聞き取る際には、他の音とは違う特別な認知システムが働いているが、俺はその認知システムが弱いため、人間の声と他の音を聞き分けることができない。

相貌失認についても同じで、人間は他人の顔を認知・記憶する際に、普通の風景や絵を見るときとは別のシステムを動かしているのだろう。一般的な記憶には問題ないが人の顔が全く覚えられないという、後天的な相貌失認の存在がそれを裏付けている。

こういう機能は、進化の過程で、人類が重要な情報を効率よく処理するために得たものなのだろう。